令和2年長崎平和記念式典

テレビ中継を観ました。
ニュースとかで見聞きすることはあるけれど、中継をちゃんと観るのは初めてだと思う。

被爆者代表の89歳の深堀繁美さんの話は、心に響いた。
家に帰ったら、父親は助かったけれど、4人のきょうだいは死んでいた。でも死体を見慣れていたからか、涙はでなかった。
こんな日常のなかで人々が生きていたのが、今からたった75年前なのだ。

被爆者のかたがどんどんいなくなっていくなかで、核兵器の恐ろしさ、戦争の恐ろしさを若い人たちに継承されてほしいという、その強い思いが伝わってきました。

そのあとにあった、小学生の合唱にも思わず涙が。
あの子が生きていたならば~
この歌詞が沁みる。

それらに比べると、続く安倍総理のことばはとても軽い、うわべだけのような気がしました。心に響かなかった。

長崎には高校の修学旅行で訪れたきり。
平和公園で記念撮影もしたけれど、何をしたのかあんまり覚えていない。お土産のカステラはたくさん買ったなぁ。でも長崎の人はとても親切で、路面電車に乗っている私たちに話しかけてくれる人もいた。
今思えば、もっと原子爆弾や戦争のことを学んでくればよかった。当時はまだ戦争体験者が社会の中心として生きていらした頃だったのに。

猛暑のなかで、コロナ渦のなかで、式典の開催には 苦労があったことだと思う。テレビに映る出席者のなかにも、「早く終わらないかなぁ~」と思っているんだろうなと感じる人もいました。
仕方ないことだと思います。

それでもこのような祈念式典が、原爆の落とされた日に、現地で行われることは意義があると思う。
忘れてしまわないように。
私も普段は意識していないけれど、今日は戦争の恐ろしさと平和が続くことを強く思いました。