『面白くて眠れなくなる日本語学』山口謠司

図書館の特集コーナーで手に取った一冊(言語の特集だった)。

読みやすくて、今日はこれ読んじゃえと思って、そのまま図書館で読み終えました。ただし、「眠れなくなる」ことはなく、途中の、割に早い段階で寝ちゃいましたが。

今の私たちが普通に(と思って)読み書きしている日本語も、ここまで来るにはいろんな変遷があったろうに、ともすればそのことには全く気がつかないでいるということに、改めて気づかされた感じです。

そういえば、

ススメ、ススメ、ヘイタイサン

みたいな戦前の教科書の記載を見たこともあって、カタカナから勉強するの~?と不思議に思ったこともあったなぁ。

江戸時代にはそれぞれの身分で使う言葉も違ったそうで、町人と殿様とではまったく話が通じないほど語彙も発音の仕方も違ったそう。ということは、暴れん坊将軍とか、あんみつ姫とか、水戸黄門とか、あり得ないってことでしょうか。

明治になって、いっそ英語を公用語にしようと考えた森有礼のことは聞いたことがありました。強引すぎるでしょ!と思っていたけれど、地方出身者の言葉は通じない、身分によっても通じない、というのであれば、まぁそれもあり?と思ったり。

前島密が漢字廃止を提案していたことは知らなかったです。日本語や漢字を廃止することは無理でも、漢字の数を制限することは可能ではないかと考えたのが福沢諭吉だそう。

「文章を書くに、むつかしき漢字をば成る丈け用いざるよう心掛る」ようにしたら「漢字の数は二千から三千にて沢山なるべし」と書いているそうです。

言葉は変わっていくものだけれど、明治の日本は人工的に変化させ、新しく日本語をつくろうとしていたのかぁ。

戦後には漢字をなくしてローマ字書きにしようという案もあったとか。韓国が漢字を捨ててハングルにしたような感じかな。けどローマ字表記の日本語はそれだけで読みにくそう…。なにより漢字はそれだけで意味がわかるのがいいのよ。

係り結びを発見した本居宣長のすごさも勉強になりました。受験の知識で、本居宣長といえば国学、とただ覚えていたけれど、そうじゃないのね。

あと、明治に長州藩と薩摩藩を主流にする保守派と、教育を充実するために簡便な日本語表記を作り出そうという改革派の、ふたつの潮流があったそうで、結局は明治41(1908)年に文部省が「新仮名遣い不採用」を決定して改革派は頓挫するそうですが、筆者が、

「もし、この時『新仮名遣い』が採用になっていたら、もしかしたら大東亜戦争は起こらなかったのではないか」と書いているのにはびっくりしました。

ジラフ🦒をキリンと申請して予算を通した動物園の話もおもしろかったです。

そしていちばん共感したのは、「外国語は、必要に迫られて勉強しなければ、身につきません」の一文。ほんと、それ!

 

『素人校長ばたばた日記』川田公長

県庁職員が異動で公立高校の校長先生になる、という道筋があるなんて知らなかった(都道府県で違うとか?)。

フィクションかと思ったらノンフィクション。

実際に読んでみて、これは実話だわ…と実感。学校が舞台のドラマや漫画って、現実とは違ーうというものばかりだけど、これは「あるある」と頷けるものばかり。実話なんだから当然か。

どこの都道府県(市町村)のことかはわからないけれど、公立高校の抱える問題はどこも同じなのかなぁ。

ひとつ挙げるとすれば。

定員割れしているにも関わらず不合格者を出したのは、校長次第とはいえ、私の住む都道府県ではもうあり得ない。だからこそ、それを通したこの校長先生はそれだけで立派だと思う。

定数内全員合格を続けていれば、絶対に学校はダメになる。授業についていけないことが前提で入学する生徒も、結局は辛いことになる。

定数内でも、各学校が定めたレペルに達していなければ不合格となる。公立高校がこの姿勢を貫いていければいいと思うし、本来入試って、そういうためにあるはず。

全国の公立高校の校長先生、そこのところ、頑張ってください。

『凍空と日だまりと』あさのあつこ

「おもみいたします」の続編。早速読みました。

それにしても表紙の絵、十丸、いくらなんでも大きすぎません?

十丸の引き綱をお梅ちゃんが握っているシーンが何度もあるけど、引き綱どころか背中に乗れてしまうのでは?(笑)

肝心のお話のほうは、前作のが良かったな。

今回はちょっと盛り込みすぎに感じました。

燈子さんが姉ではなく、実は母親だったという設定にはびっくりしたけど、その設定、いるかなぁ。

当主の身代わりになって切腹しちゃう稲村さんとか、今回のお話はちょっと暗かったです。こうなったらもう、逃げた和左之介とお芳さんには何がなんでも幸せになってもらわないと。

家がどうとかお役目がどうとか身分がどうとか、そんなこと関係なく、みんなそれぞれに自分の幸せをつかめたらいいのにね。

『おもみいたします』あさのあつこ

江戸時代を舞台としている時代小説だけれど、ライトノベルのようにあっという間に読めます。

揉み師のお梅ちゃんと一緒にいるのが犬の十丸。まぁここまでは、盲導犬は現代でもいるしな~と思ったけれど、鼠先生が出てきたところで、ええ~っ?!と笑ってしまった。

犬(と、普通の人にはそう見える)の十丸とも、鼠(と、普通の人にはそう見える)先生とも話ができちゃうお梅ちゃん。

お梅ちゃんの周りには優しい人がたくさんいます。

人殺しの犯人さがしのお話だけれど(犯人はわりとあっさり予想がついちゃう)、お梅ちゃんがとても素敵な女性で、あったかい気持ちになれるお話でした。

続編も読みたいな。

奥田英朗『普天を我が手に』

第三部まで読み終えました。

おもしろかった~

特に第二部。ページをめくる手が止まらないという経験は久しぶりです。

第三部は第二部に比べるとトーンダウンした感じでしたが、それは仕方ない。でもラスト近く、総裁選の一騎打ちでの、竹田史郎と矢野四郎の演説は、読んでいて涙が出てきてしまった。

「わたしの原点は昭和二十年の夏にあります。あの夏以上のことはもう絶対にない。わたしたちの世代にとって、戦争はそれほど大きな出来事でした。その呪縛からは逃れられないし、逃げる気もない。わたしたちの責任は、二度と戦争を起こさないことです」

戦争を経験した者が政治家であった時代と、そうでなくなった時代とでは、その隔たりが大きすぎる。

私は戦争を知らないけれど、戦争のない世界が、決して当たり前ではないということを忘れないようにしようと思う。

『皇后は闘うことにした』林真理子

高校生と接する仕事をしている。今の高校生は(高校生だけではないかもしれないが)元号を使わない。そもそも元号を知らない。

生年月日を尋ねると西暦で答える。

令和の前が平成だということはわかるが、その前が昭和だということはなんとか…という程度で、大正や明治となるとかなり怪しい。

だからこういう皇室を舞台にした小説は、一定の年齢層以上でないと受け入れられないのでは…と心配になるけど、どうなのだろう。

林真理子さんの書く皇室ものは本当におもしろい。どのお話もひとりひとりが生き生きしていて、さすがと思う。

私は昭和天皇のこともしっかり覚えている世代だし(私の知る昭和天皇はもうおじいちゃんだったけれど)、皇后になるのがどれだけすごいことかとか、平民出の美智子さまがどれだけ苦労をされたろうかとか、そんなことを思いながら読むのも良かった。

林さんの皇室ものをもっと読みたい。

 

「第一部 普天を我が手に」奥田英朗

昭和元年からスタートする大河小説。

奥田英朗氏の作品に外れなし。おもしろい!!

どの人物も生き生きしていて、とにかく昭和史を勉強されたんだなぁと思う。みんな魅力的だけど、特に竹田耕三が好き。彼の力でなんとか日米開戦を止めてほしかった(いや、無理なんだけどね笑)

ヤノタツが死んじゃったのが悲しい。彼にはこの戦争が終わるまで生き抜いてほしかったよ。

とてもおもしろいけれど、この戦争の行く末を知っている立場としては、この先を読み進めるのがちょっと重い気分。

戦争って、こんなふうに始まってしまうのだ。

軍部の暴走が恐ろしい。国家の扇動が怖い。

みんな死なないでほしい。